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深淵のdetective・26

「…太一郎?」

ワタルは西園寺から渡された我が子の小さな身体を抱き締めて頬擦りした

「ふえっ、ふっ、ぎゃあああん!」

「えっ?太一郎?どうしたんだ!?」

「うわあ〜ん、ふぎゃぁ〜!」

どこか痛いのか!?具合が悪いのか!?

慌てふためくワタルに西園寺が言った

「大丈夫、甘えてるだけです」

「え?甘えてる?」

「赤ん坊には、何も解らないと言う人間もいるが、赤ん坊だって、感情がある」

周りの空気を察する事が出来る

「この子は今まで、自分の母親を殺した女に、見張られていたんです」

緊張が解けなかった眠る事も泣く事も出来なかった

父親に抱っこされて、やっと安心出来たんですよ」

だから思い切り泣いている

思い切り甘えているのだ

「え〜ん、ふえぇ〜ん!」

「太一郎…、怖かったのか?淋しかったのか?…ごめんな、傍に居られなくて…ごめんな?」

これからはずっと一緒だ

「パパが、お前を護るからな、太一郎?」

*****

俊輔の腕の中で今眠っていた筈のシノブが飛び起きた

「シノブ?」

「俊輔さん!帰って来る!」

兄さんと太一郎ちゃんが帰って来るよ!

「えっ?」

慌てて身支度をしてリビングに駆け込むと丁度アラタが電話を終えた所だった

「あ、シノブくん、俊輔さん、今先生から連絡があって、10分位で帰るって。勿論、ワタルさん達が一緒だよ」

大喜びする二人を見ながらアラタは電話を掛けた

「ええ、フロントには伝えてありますから、20分後にいらして下さい」

*****

「もう〜!ルイスってば、運転中に、涙で前が見えないって、あたし達を殺す気〜!?」

「だって、仕方無いじゃない〜!あの、親子の再会に、感動しちゃったんだもん!」

「ったくもう!助手席に、俺がいて、ハンドルを押さえたのを感謝しろよ!」

ホテルの地下駐車場に降り立った一行はここまでの10分が一番のスリルだったなと誰もが思っていた

「…この三人、コメディアンに転職した方が、いいんじゃないか?」

「全く、一時もしんみり出来ないな?」

いつもこの調子なのか?西園寺とターナーは呆れワタルは苦笑していた

部屋に戻るとシノブが泣きながら飛び付いてきた

「兄さん!たいちゃん!」

「シノブ…、心配させて、ごめんな?」

「ううん、無事で良かった!」

リビングのソファにアラタが座りテレビを視ていた

「お帰りなさい、先生。ほら、ニュースやってるよ」

件の邸宅をパトカーと消防車が取り囲んでいる

「…この、ニュース・テロップはなんだ、アラタ?」

「例のギャングのボスの病状を、報道してるんだよ」

あちこちの報道機関のPCに匿名の書き込みがされていたのだ

「ひゅ〜う!凄いな探偵!そこまでやったのか!?」

「いや、リミット。柘植先生が、スバルさんに依頼されたんです」

「ツゲ?って、ターナー?」

「私の上司です。叩かなければならない相手は、とことん叩く、凄腕の弁護士です」

ターナーの言葉を西園寺に通訳したアラタは

「とことん叩いて、落とし穴に突き落とす人だよね、柘植さんって?」

とヒソヒソと囁き西園寺を苦笑いさせた

つづく

HOMO SAPIENS 人類遺産(Nikolaus Geyrlhalter ニコラス・ゲイハルター監督)@シアターイメージフォーラム

 廃墟マニアと言うほどではないが、東京で街歩きしていて、いかにももう人の住んでいないボロ家に出会うとつい反射的に携帯カメラに収めてしまう。銭湯だって消えつつある東京の遺産だからこそ、廃業と聞けばとにかく都合をつけて駆け付けなければならないと思うし、そうでなくてもあらゆる類いの個人営業の店(例えばチェーン店ではない食堂や喫茶店)をいとおしく感じ、出会ったら写真を撮り、日記に残すと言う作業を止めることはできない。

 で、予告編ですでに映像美にやられたこの作品、世界中の廃墟を記録した映画。廃墟だから人物の登場はないと言う、そう、東京だってどこでも人がいる訳ではない。人が消えた東京の風景も実は多いことが分かってきてから、東京の街歩きは面白いと思えるようになった。

 さて映画作品の方だが、まさかナレーションも音楽も全くない、映像と自然音だけと言う作品の作りっぷりに衝撃を受ける(つまり、映像のロケ地が基本的に不明なのだ)。ここまで無人空間の作品となると、今度は撮影者自身の姿(例えば影が映像に入ってしまったり、雪に足跡が残っていたり、あるいは野生動物たちが襲ってきたり、etc.)が入り込まないか心配になるが、撮影者自身の影も完全に消し去っている。

 前半はかなり日本の映像が多い。と言うことは、やはりフクシマなのだろうか。となれば、プリピャチ(チェルノブイリ事故で廃墟になった町)も当然後半には出てくる。その意味では原発事故批判のトーンがある。

 あるいは、長崎の軍艦島も登場する。実際に世界遺産に指定されたとはいえ、観光上陸と言う訳には行かない訳で、全体としてダークツーリズムを映像表現した作品だと言ってよい。

 しかし、廃墟を訪れることがダークツーリズムなら、例えば考古学的レベルの廃墟、インカやエジプトの観光はダークツーリズムなのだろうか。いや、個人的にはインカやエジプトと、チェルノブイリやフクシマを分けて考える必要があるのか(もちろん、社会的にはそこに暮らしていた人が存命しているか否かでデリケートさは全く違うだろう)とさえ思ったりする。

 先日の都慰霊堂参拝の日記でも書いたが、東京も関東大震災東京大空襲と言う、現代史(つまりまだ生き証人が存命する)で廃墟になった歴史があり、そこからの復興の歴史があるので(原発の観点では、広島長崎の復興もある)、フクシマも復興を遂げるかもしれない。だがこの映像はそんな楽観的な意味など持たせず、淡々と廃墟を写すのみだ。

 それよりも、遺産と言うのは人類から見た都合の良い物言いで、映像が美しいと思う反面、無機質で腐敗することのない人口物が世界中を汚している、と言うのがこの作品の本質的な意図ではないか。他の動物は死骸になっても腐敗して再び土に帰るが、人間が作った人口物だけはこの先もずっとゴミのままだ。ゴミ屋敷に住む独居老人を批判するようなニュースも時々見かける中、そもそも人類全体がゴミ屋敷になりつつある、と言うことの警告が私はこの作品の本旨だと理解している。1時間半ほどの映画だが、そのダークツーリズムはあっという間に終わる。

 帰りは当然渋谷駅を目指す訳だが、たくさんの人でにぎわうこの街にも、あちこちが工事中で廃墟同様の風景が剥き出しになっているし(しかもほとんどの人々がそれをなかったことのように平気でスルーしている。もし近所でこんな大工事されたら、やれ騒音だ、やれ日照権だ、で大騒ぎするのに)、また時々無人空間もちゃんとあったりすることに気がつく。その意味で、この映画を観たら、東京の風景の見え方が一変すること間違いなしの作品。つまり、東京の街自体が作品になる。

稽古日記 その七百四十七

本当に疲労回復が遅くなってきました

金曜20時の練習。指導はN木先生。

半身正面、とくに右足前の。

軸と肩の線をしっかりさせて。

そうすれば回し蹴りも、綺麗な軌道が出来るはず。

やって見せてくれるN木先生の動きが、本当に美しくて

転身系をゆっくり見せてくれると、もうドキドキして見惚れてしまいます

あんな風に、綺麗に身体を動かせるようになりたい

…前半で思い過ぎたか、基本と慈恩をやったら腰が、足の付け根がグズグズになって、最後の順路四段はヨレヨレでした

でも軸を作るには、打って付けの型かも…

胡麻味噌担々つけ麺(まるの)一宮市

17日(金)

金曜日の夜・・・飲みたいところですが(笑)ラーメンを。お気に入りの「まるの」さんの限定の中でもお気に入りの「胡麻味噌坦々つけ麺」をやっといただくことができました。胡麻が甘くなりすぎる担々麺が多いところここは甘味は少なくとっても美味しい担々味噌です。野菜たっぷりもいいですね。さらにいただいた激辛スパイスを振りかけて美味しくいただきました。

一緒にいただいた「チャーシュー丼」も旨い!

書きたいテーマをどうするのか?

 投稿原稿のテーマを決めることが出来ないでいる。「文章作法」を研鑽しても書きたいテーマがなければ筆が進まない。そもそも感動する感性が鈍いので熱狂するテーマが思い浮かばない。方法の一つに新聞記事のスクラップを作ってネタを温めることもありだが、しかし、どうにもつまらない記事しか目につかない。今、この瞬間に連想できるネタがないのは仕方ないとしても数ヶ月以内には何がしかのテーマを見つけ出すことが出来るかもしれないので悩む必要はないかもしれない。

 そもそも関心が高いのは、哲学関連なので「意味論」をテーマにしたヴァン・ボークトの『非Aの世界』や『非Aの傀儡』のような作品に魅力を感じている。だからと言って自分の哲学の知見は初心者レベルなので同様な作品に哲学的な知見をちりばめた啓蒙的な作品を書くのは難しい。と言っても雰囲気だけ醸し出せればいいのであればなんとかなるのかもしれない。とは言っても「すばる文学賞」に投稿するのにSFではジャンルが違うので対象外であろう。

 純粋な文学作品とは何か?と問うたときに「人間の心理」を描きつつ「真理」を提示できることであろうと言うのが私の解釈である。では、どんな内容が書けるだろうか? 参考にすべきなのは、「仏教」と「クリティカルシンキング」に「論理療法」で、心の葛藤を克服する主人公を描くのが良さそうだ。でも、この手の作品は、すでに有りそうだ。例えば『夢をかなえるゾウ』とか『賢者の書』などがあるだろう。参考にして模倣しつつ自分のアイデアで新機軸を打ち出せば問題にはならないだろうか?

 アイデアを練るには、多読の必要性もあるのだが「小説」に時間を割くのはあまり気のりがしない。とは言っても読みたい「小説」が無いわけではないので、課題図書を上げることはできる。例えば、直近では『蜜蜂と遠雷』が面白いと思う。でも、この作品のモチーフの「文体」は参考になっても同様な作品を書くつもりはない。やはり自分が書くことにワクワクしながら読み手を唸らせる作品を書くには自分の知的フィールドで勝負するしかないだろう。となると「設定」は限られてくるだろうから読みかじりの『現象学』や『クリティカルシンキング』に『論理療法』を下地に「心の葛藤」を克服する「設定」が自然かもしれない。この件についてはしばらく寝かせて熟成させた方がいいだろう。

職場復帰14日目

週明けの月曜日。誰でも憂鬱だよね。

足取りも重く職場へと向かう。

先週の業務はひと段落ついたので、今日は何をしようかな?って思ってたら、新しい仕事が舞い込んできた。

作業をしている時が気がまぎれるんで、ありがたいよね〜と思い、マイペースで資料作成に取り組みました。

お昼はスリランカドライカレーランチ

職場を離れて、気分転換のひとときです。

昼休みが終って、業務再開。

3時ごろには疲れが出てきて、まだまだ仕事に慣れてないことを実感。とりあえず定時まで踏ん張ることができました。

資料の打ち合わせは明日。

とりあえず、家に帰ってのビールが至福のひとときです。

今日も無事に終わりました。

こうやって、無理せず一歩ずつ前に進んで行きます。

JASRACに限らず

■父の葬儀、JASRACの壁 思い出の曲もダメ…著作権との関係は? 「葬儀まで…行き過ぎ」音楽家の問い

(ウィズニュース - 03月17日 07:02)